弘法大師は、十八歳〜二十四歳の青年時代に六年間にわたって、四国を中心に山野海浜に入って、「虚空蔵求聞持」の修行をされます。そして、この弘法大師御修行の霊跡に開創されたのが四国八十八ヶ所の霊場であります。
そして、この「虚空蔵求聞持」の修行によって、弘法大師は、仏に出会う(悟りを開かれた)わけです。そこでお書きになったのが処女作である。「三教指帰」であります。
「三教指帰」の序文の中で弘法大師は「ここに一人の僧あり、われに虚空蔵求聞持の法をしめす。その経に説かく、『もし人、法によってこの真言一百満遍を誦すれば、すなわち一切の教法の文義を暗記することを得。』ここに仏の言葉を信じて、一時も休まず道を求めて、阿波の国(徳島県)太瀧嶽(四国第二十一番太竜寺)にのぼりよじ、土佐の国(高知県)室戸の崎(四国第二十四番御岬寺、東寺)に勤念す。谷ひびきおしまず。明星来影す・・・・。」と四国での御修行のありさまをしるされている。
弘法大師は、正しく、この「虚空蔵求聞持」の修行によって、悟りを開かれたわけです。そういう意味で、この「虚空蔵求聞持の法」は、弘法大師の信仰の原点であるわけです。そしてまた、後に説明しますが、この「虚空蔵求聞持の法」は、広い意味では、日本仏教の原点であるということもいえるわけです。
さて、それでは、この「虚空蔵求聞持の法」とはいったいどのような修行なのでしょうか、ここに弘法大師の原点があり、日本仏教の原点があるとしたら、この「虚空蔵求聞持の法」について、わしたちは知る必要があります。
そこでここに上山春平氏(京都大学名誉教授・和歌山県有田郡金屋町出身)の「虚空蔵求聞持法と私」という文章を先ず紹介します。(上山春平著作集第八巻69P)
「求聞持の行は五十日とか百日はかかります。一日一座で一万。百万繰るには百日かかります。一日二座というところは大変です。これで五十日ですね。住職の地位にある方が五十日百日とお寺をあけることはなかなかできません。しかし『虚空蔵求聞持法』の教典を読みますと、何も五十日とか百日をかけてやらなくてもよいことがわかります。求聞持はもう少し融通のきくものなんです。この求聞持の一番基本になるものは『虚空蔵菩薩最勝心陀羅尼求聞持法』というお経です。私は求聞持の法を東寺の長谷宝秀先生に教えていただいたんですが。長谷宝秀先生自身は求聞持をやっておられなかったようです。ただ太龍寺の求聞持次第を写しておられまして、これは私が大学を出て海軍にとられるという直前の昭和十八年ですが、写させていただきました。その後だんだんと求聞持次第というのに興味をもちまして、いろいろ比較参照してみたんです。 特に筋のいい求聞持次第が『弘法大師全集』に三点は入っております。筋のいいものとして長谷宝秀先生が集められたものです。それを見ますと、この求聞持次第というのは求聞持のお経『虚空蔵菩薩能満諸願 最勝心陀羅尼求聞持』のある一部分を、行がしやすいように段落をつけて書き直したものであるということがはっきりしてきました。だからそのすべてがこのお経にあるんです。
これによりますと、求聞持のやり方には大きく三通りあって、現在よく使われているのは、その内の一つだということがわかりました。「もし如法(にょほう)にこの陀羅尼求聞持を持せんとする者は」というところがあります。「如法に」というのは、ちゃんとしたルールに従ってということです。如法にやろうと思う者は次のようにようにやりなさい。ここが普通使われている部分です。ところが、如法ではないやりかたがその前に書いてあります。これでも十分功徳はありますよ、ということがまず書いてありまして、その次に「如法に」というところが出てくるのです。そして、第三番目は、「また、日蝕と月蝕の時に於いて」というところ以下です。この日蝕とか月蝕というものを考 に入れた行法です。昔の求聞持次第にはほとんどこの第三の部分は出てまいりません。『弘法大師全集』に出ているものとか、古い形のものにはでてまいりません。この第三のやり方では、というものを使います。これは乳よりバターをとったうわずみをこしたものです。これはバラモンの行にある昔からの行法のようですが、普通の求聞持次第では抜いております。
まず第一のやり方はどうかというと、ただ虚空蔵さんの陀羅尼を唱えなさいというのです。虚空蔵さんの陀羅尼は「ノウボウアカシャキャラバヤオンアリキャマリモウリソワカ」(原稿は漢字)と読ませておりますが、サンスクリットでどう復元するかというのはいろいろな説が出ております。「ノウボウアカシャキャラバヤ」までは意味がはっきりしていて、これは「虚空蔵菩薩に帰依したて奉る」ということです。しかしオン以下がわからないんですね。かなりもとの形から変形されてサンクリットでは意味がわからないということです。要するに虚空蔵さまに帰依し奉るということだけ非常にはっきりしているわけです。 私は如法に行うことは出来ないので、三通りのやり方のうちの第一のやり方、ただ虚空蔵菩薩の陀羅尼をくりかえすというやり方、これをやってみたのです。
私は一日に三千くることにいたしました。暗いうちに起きていけば十分できます。『三教指帰』の序文には、「一切の教法の文義を暗記する」ことができるとありますが、これは第三の法の功徳として書いてあることであって、第一、第二にはそれは書いておりません。しかし、陀羅尼をくることによって常に仏菩薩がお守りくださるんだということがくどいほど書いてあります。それは危機に臨んだ人間にとっては非常にありがたいことです。私はかなり精神が弱ってノイローゼ状態になっておりましてので、いろんなことをやってみたのですが、結局どうにもならない。そんなときに、たまたま『三教指帰』を介してお大師さんにめぐりあい、求聞持のことを教えていただいた。『三教指帰』によりますと、お大師さんは、私の当時の年齢に近いころに京の大学を出てからのちに求聞持をやられたと書いてあります。当時、私は京都大学の哲学科におりまして、二十歳前後でございます。お大師さんほどの知識人が、ノウボウアキャシャキャラバヤオンアリキヤマリボリソワという意味もわからないような陀羅尼を百万遍おやりになる決心をされた。私もだまされたと思ってやってみよう。そう思ったのです 。初めは雨が降ったら休んだりしておりましたが、だんだんやめられなくなってしまいました。毎朝如意ケ岳に登っていますと、だんだんと周りの自然となじんでくるんですね。秋になると紅葉いたしますし、春になるとしんめがファーッと芽生え出てくる。下宿の中でごろごろしていた人生と非常に違ってきたわけです。グーグーふとんの中で寝ている時間に、今まで見たことのない素晴らしい世界に導かれるんですね。ノウボウアキャシャキャラバヤオンアリキヤマリボリソワという陀羅尼が私を導いているわけです。この陀羅尼をくりながら山道を歩いていって、お盆に大の字に送り火をたくその大の字の交点の所にお大師堂があるんですが、そのお大師堂で仕上げをするのです。こうしたことを続けているうちに、だんだんと体に活力がわいてきまして、一年も経たないうちにすっかり心身ともに元気になりました。
これは陀羅尼の功徳があったのか、それとも陀羅尼をおやりになったというお大師さんを信じたことが功徳になったのか、それはわかりません。お大師さんは陀羅尼を説かれたお釈迦さんを信じ、おやりになった。そのお大師さんを信じたということから、お大師さんの『十住心論』とか『秘密宝鍮』を私は知りたいとい思うようになった。そして専門外ながら、中観とか唯識とかを読ませていただくご縁ができてしまった。これはいつまでたってもつきない宿題をいただいたようなものです。私にとって仏教は専門ではありませんけど、ものを考えていく上にいろんな示唆をいただいた。たった一つの陀羅尼、ノウボウアキャシャキャラバヤオンアリキヤマリボリソワを、百万遍唱えようという念願が、いろんなものを私の中に生み出してくれたんです。私は我執の強い人間ですから、自分が努力して自分の問題を一歩でも克服していくというこの行が私に向いていたのかと思います。」
さて、上山春平氏のとくところによると、求聞持のお経は、『虚空蔵菩薩能満書願最勝心陀羅尼求聞持法』という、そしてこのお経には、求聞持のやり方を三通り説いている、一つ目は、ただ、虚空蔵場冊の呉真言(陀羅尼)、ノウボウアキャシャ、キャラバカ、オンアリ、キャマリ、ボリソワカ、を唱えなさい。長いお経をおぼえることも難しい作法も、なにもいらない。二つ目と三つ目は、お坊さんでなくてはできない、むつかしい作法や、お供え物などが必要となり、一般のだれにでもできるというものではない。
わたしが注目したのは、この一つ目のやり方である。私は、二十歳〜二十五歳の青年時代によくこのやり方で求聞持を繰った。四国第二十一番太竜寺に出かけて、北の捨心(ここは小さな御堂が岩の上に座ることはできなかった。)南の捨心は、昔は、ほとんどの人の目にふれなかったが、現在はケーブルが付き、裏側から太竜寺へ登るようになったため、参詣者の目にふれるようになった。ケーブルの頂上、終点に近いところで本堂と反対側(南)を見ると、絶壁の上に立つ岩の上に尊像が安置されている。この尊像は、最近ケーブルが完成してから安置されたもので、もう昔私がしたように、あの場所に座して求聞持を繰ることはできなくなっている。この場所は、ずっと遠方に海を望むこもできる。景色のよいところで三教指帰で弘法大師が「谷響きをおしまず」としるされた谷が南東の眼下にひらけている。
又、室戸岬では(土佐、四国第二十四番最崎寺、東寺)お札所の下、国道沿いに「みろく洞」という洞窟があり、この洞窟でお大師さまは、求聞持を繰られたと伝えられています。私も、同じように、この洞窟で求聞持を繰ってみた。一日、二日と修行するうちに、この洞窟の中は湿気が多く、居住空間としては快適でないということを身にしみて感じた。そこでわたしは、もっとちがう場所がこの室戸岬のどこかにあるのではないか、明けの明星の見えるところにもっと適当なところはないだろうか、と求聞持はそっちのけでさがすことにしました。そこで私が見付けたのは「烏帽子岩」であった。この「烏帽子岩」は「みろく洞」の国道はさんですぐ東側(海側)にある。二階建ての民家程度の大きな烏帽子の形をした岩である。この大きな岩は、よく周囲を観察すると、意外とたやすく、岩の上に登る「道」のあることがわかった。私は、この岩の上に登っておぞろいた、岩の上は畳二十畳程のお花畑になっていた。私は、このお花畑の真ん中に座ってみた、そして、東の空に向いた。すると、そこは青い空と青い海だけの世界になった。太平洋につき出た室戸岬、その室戸岬の岬から太平洋に少しでは
あるが離れた磯の大岩の上、じっと東の空に向いていると、上は空、下は海、右も左も全て太平洋の海なのである。私は、そこで食料と水を岩の上に上げて一週間求聞持を繰った。そして、ここにないと思った。”弘法大師が三教指帰で「室戸の崎に勤念す。」としるされた勤念された場所”ここで「明星来影す・・・・・。」ということがあったのだと。(続く)
