森本純平

 
左上の写真をクリック           福勝寺境内に建つ            


菓祖神尊像(本多家蔵書)

菓祖神・田道間守
県指定文化財、所坂王子蹟橘本神社には、帝の命により常世の国から、
蜜柑のもと橘の実を持って帰ったとされる田道間守を祭っている
中谷紀山筆
 筆者は和歌山市の人。藤白の青木梅岳門下でのち京都の小室翠雲に学んだ。
 郷土の風物を多く描いており、戦後、和歌山県展審査委員として後進の指導に当たった。

田道間守の歌

一、かおり貴高いたちばなを
積んだお船がいま帰る
君の仰せをかしこみて
萬里の海をまっしぐら
いま帰る田道間守 田道間守


二、おはきぬ君のみささぎに
泣いて帰らぬまごころよ
遠い国から積んで来た
花たちばなの香とともに
名はかおる 田道間守 田道間守

昭和十七年文部省発行の教科書より


田道間守公千九百拾年祭に際し(橘本神社)
和歌山県知事 仮谷志良書


柑子を献ずる表

弘法大師空海全集第六巻・遍照発揮性霊集 巻第四


 沙門の空海、言上する。小住の山城乙訓寺(やましろおとくにでら)に数株の柑橘(みかん)の樹(き)がある。
献上の恒例にしたがって、よい実をいろいろ撰び取って来させた。数を申し上げれば千以上となる。その色を看(み)ると黄金のようである。黄金は変わることのないものである。千と千年に一人現れる聖天子のことである。またこの果物はもともと西域(せいいき)からでたものである。ちらと見ただけでも興趣がある。そこで、私の拙(つたない)い詞(ことば)をそえて、あえて奉献する次第である。
 伏して願うところは、陛下の仁慈をもってまげてご一覧あらんことを。軽々しく奉献して陛下の御眼を黷(けが)すことを、ひし伏して深く悚(おそ)れお詫び申し上げるところである。沙門空海、心から惶(おそ)れ、心から恐れて謹んで申し上げる。

桃李(ももすもも)は珍しいけれども寒さに弱く
蜜柑が霜にあっていよいよ美しいのに及ばない
星や玉に似て、そのもちまえは黄金である
そのかぐわしい味は供え物の籠一ぱいに充ちてる
このようなたとえようもない珍味はいずこよりもたらされたのか
きっと天女・西王母(せいおうば)の故(もと)であろう
千年に一度聖人が世に出ること表わし
この木に攀(のぼ)って実を摘(と)り、わが聖上陛下に献上する
小さな蜜柑を小箱六つ
大きな蜜柑を小箱四つ
以上、乙訓寺をからとれたものを恒例にしたがって献上し奉る。謹んで乙訓寺の寺主である願演(がんえん)遣(つか)わして、この状とともに奉納いたさせる。 謹んで進上する。


柑子(こうじ):
みかんの一種。実はミカンより小さく、皮が薄くて、すっぱい。こうじみかん。
乙訓寺:聖徳太子の開創になる古刹。京都府長岡京市、弘仁二年空海別当となる。
西域:ここではインドを指す。
聖眼:陛下の御眼。


たちばなの心にかえろう


『鶉(うずら)鳴く 古しと人は思へれど 花たちばなの匂ふ このやど 大伴家持』

 この万葉集のこの歌が私の今の心境にぴったりである。
 この10月9日にみかんと菓子の神様、田道間守公の1930年祭が下津町橘本神社で盛大に執り行われた。
 柑橘研究創刊号(昭和2年発行)に当時の宮司・前山虎之助翁は次のように述べられている。
 「田道間守公が柑橘業の始祖でその中心思想でなければならない。柑橘業どころか日本農業、日本産業の中心思想でなければならない。なぜなら始祖は日本農業の救世主で、日本興国の導主である。日本農業が哀れな地位に追い込まれたのは公の精神をわすれたからである」と。
 世界の柑橘業は葡萄を追い越し、バナナよりもはるかに多い断然トップでさらに躍進をしようとしている。しかも寛皮性であるためナイフが要らない。しかも美味しい温州みかんに触手を伸ばしている。
 日本の柑橘業も長足の進歩をとげてきた。しかるに今まさに受難の時を迎えるに至っている。伸びるどころか全盛時の1/3の120万トン以下にまで落ちてしまった。しかもそれを維持するのに四苦八苦の状態である。
 われわれは、奈良時代の橘に始まり、柑子ー紀州みかんー九年母、八代ー温州みかんーと長い柑橘業の歴史を走ってきた。
 これから21世紀に入りますが、橘の心、則ち自然にかえり、産業自体もわれわれの心も豊かに、さらなるロマンを求めて進めていきたいものです。
 最近、こんなことを考えているのです。

                                             森本純平拝

私 の 提 言

森本純平拝


毎年、私はかんきつの歌を皆様にお届けしていますが、本年は次のように詠みましたのでご披露申し上げます。
  2,001年  橘の春           
 
熟年の あふるる熱意 橘の里 さらにひろげんよ  温故の心を

よしなり (シトラスシリーズ No.29)
 
 21世紀への伝言板「和歌山県果樹園芸史」を早期に刊行したいという意思を込めてこの歌を詠んだのです。果樹王国和歌山と言われながら全国の誇れる書物がないことが悔やまれてなりません。
何とか早くこれを出版したいのが果樹関係者の切なる願いなのです。
 また、旧年6月に「柑橘研究16巻」を刊行しました。王国和歌山を何時までも維持できるようにとの願いを込め、しかも、世界では、バナナ、ぶどうを追い抜いてトップを維持し、皮の剥きやすい温州みかんにまで触手を伸ばしているかんきつであるのに、日本では生産量が従来の1/3にまで落ち込んでしまっています。
 この書物では世界の情勢やニュースを中心に、今後の和歌山が果樹王国を維持発展していくためにまとめてみました。 お目に止まり参考になれば幸いです。
 昨年11月下旬からアメリカ合衆国のミシガン、フロリダ、カリフォルニアを19日間にわたって国際柑橘学会議参加等の旅をして来ました。これからはひとりわが国だけでなくグローバルな視点から産業をとらえていくことの重要性を身にしみて感じてきました。
 今年7月8日頃から1週間にわたってブラジルで行われる「国際柑橘ナーセリーメン会議」に出席します。この会議はひとり種苗および苗木のスタッフのみならず、生産者、技術者、学者が出席し、今後の柑橘の苗木生産や産業全体を討論する会議です。そのため、世界の柑橘情勢を身近に知るために「2,005国際柑橘ナーセリーメン会議の和歌山誘致開催」を打ち上げているのです。
 また、関西国際空港が近くに開港し、世界に開かれた和歌山に、そして多くの方々が訪れてくれる、一味違った和歌山にするために『県民一果樹植栽運動により”和歌山まるごと果樹園”に、そして世界のリゾート Wakayamaをつくろう』と考えているのです。
よろしくご検討をお願い申し上げます。


目次
アボガド ホワイトサポテ カラマンダリン レモン ポポー
カラマンシー かぼす ランブータン スダチ レイシ
ヤマモモ ざくろ りんご 新年抱負 仏手柑
温州みかん

バレンシアオレンジ

八 朔 三宝柑

アボガド

 アボガドとの出会いは、和歌山市古屋の井上潤二園に大学時代の恩師、田中長三郎先生のお供をして訪れた時が最初である。確か果樹園芸試験場に就職してすぐであるので、昭和三十九年頃と思われるが、帰米され、古くから、フェルテ種の栽培に取組んでおられ、ニ、三回お伺いして栽培法を伺った。その後、お訪ねする機会がないが、今でも、あのアボガドの大木は健在だろうか。
 また、新宮市の土井留六山を訪れ、やはり、同種を栽培され、Kg当たり当時七百円程度で売れるのだと自慢されていた。
 1977年5月、私はアメリカ西海岸、ロスアンゼルス北方のベンチュラに普及所長のリー氏を訪ねていた。この地方は著名なアボカドやレモンの主産地で、傾斜園で日本製のモノレールが大いに活用されていたのには驚いた。その時、出てくれたサラダやクラッカーにつけた風味と舌ざわりが何ともいえない、まさに、天然のバターの味がした。くだものに珍しく、脂肪に富み、タンパク質も多く、カロリーが高いものである。
 森のバターとか木になるバターとか言われる。一般に果物は食後に利用されるが本種は食中の果物、いわば野菜的な利用法。原産地はメキシコ及び中央アメリカ。太陽の国、インカ帝国時代にすでに食べられていたという。メキシコではトウモロコシバンとコーヒーとアボカドのコンビが最高の食事とされている。
 形は洋ナシと卵型の二種類。色は緑から褐色、黒紫色までいろいろ。果皮がザラザラしたものとツルツルしたものと
二種類あり、黒紫色の粗い果皮のものは、ワニナシ(アリゲーター・ペア)ともいう。
 輸入されているものは、カリフォルニアとメキシコ産が主で、その量は年々増加している。
 近年では、果樹園芸試験場により、耐寒種が導入され、有田地方以南に少しずつ栽培が広がりつつある。先日、和歌山市で国際農業者フォーラムがあり、そのなかで、カリフォルニアやニュージーランドの人々から「それぞれの果樹業界は、美しい海岸、ヤシの木、健康と栄養をもたらす高品質で新鮮なカンキツとともに、それぞれの地域全体を売り込みます」と話された。和歌山県も田辺周辺まではそれぞれ、地域特産の果樹類が栽培されているが、それ以南には、アボガド等の余り管理に手間のかからない果樹の栽培により、「和歌山まるごと果樹園」として売り込む必要を感じる。
 近年、その良さが理解され、サラダ、寿司に少しずつであるが利用され、身近な食品になりつつあることは喜ばしい。


森本純平

森本よしなり
イラスト  追田照子


ホワイトサポテ

 私が果樹試験場を去ったのは1992年4月であるから、今から七年前になる。それまではチエリモヤ中心であった米本君の研究にこのホワイトサボテが加わっていたのを知らないでいた。今までの東南アジア旅行では、本種にお目にかかったことは一度もなかったからである。しかし、後から1992年7月発行の果樹園芸試験場ニュースを読み返してみると、本県特産果樹として本種の開発を目指し、海外より多数の品種、系統を導入して、栽培研究を実施したことが掲載されていた。
 原産地はメキシコから中央アメリカにかけて、メキシカンアップルとも呼ばれているという。ミカン科に属する亜熱帯果樹であるが、成木では、七℃の低温にも耐えたという報告もあるので、米本君は本県での露地栽培用として考えていたようだ。
 果実の形状は柿に似て、追熟すると、糖度は20度以上と大変甘く、ライムの果汁などを加えるとより一層美味しく、デザート用の高級果実として珍重されている。
収穫期はカリフォルニアでは8〜11月、フロリダでは5〜6月。メキシコでは7〜8月頃になると市場に並び好んで生食されるという。
 果実は直径7〜10センチメートルであり、種子は普通3〜5個位である。樹は巨木性で、葉の形はヤツデの葉のよう。明るい緑色をしており、庭園樹木としてもよい。
 私は何時だったか、たまたま米本君の留守中に果樹園芸試験場で本種を御馳走になったことがある。十分に追熟した果実をスプーンですくって食べたのだが非常に美味しく、桃とバナナをミックスしたような風味があり、和歌山果樹の即戦力として十分活用できるのではないかと感じた次第である。
 キウイフルーツ、アボガド、チェリモヤ等と同様に果実が硬いうちに収穫し、室温で追熟させる。おおまかに二種類に分類され、緑皮系種では熟しても外観はほとんど変化しないため収穫適期の目安がわかりやすいため、一般家庭では本種が好まれるようだ。追熟が完了した果実は短期間しか貯蔵できないが、冷凍すれば8〜12月はもつという。
 本種を導入し定着させた米本君。山村産業試験場に移った彼は三匹目のどじょう「ペカン」に夢中に馳せているようだ。本県には、田道間守公以来、南方熊楠翁、土井留六氏、井上潤二氏等多くの品種導入のポテンシャルがある。これからも大いに導入してもらいたい。
 今提唱している「県民一人一人果樹植栽運動により和歌山まるごと果樹園に」と「山村に緑化樹を植えて世界のリゾートWAKAYAMAをつくろう」にぴったりの植物である。


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イラスト  追田照子


カラマンダリン

 先日、有田郡の湯浅町栖原の嘉成博一組合長が、「この品種は南向きで、風が余りふかない園地に限定して栽培されている。袋掛け等栽培面と品質管理の上での難しい点もあるが、今ではカラマンダリンの良さが見直され、出荷量も確実に増加している」と話されている記事が農業新聞に掲載されているのを懐かしく拝見した。ここまで来るのに大変長い道のりだったと感慨が深いものがある。
 現在では、四十戸の農家が約十ヘクタールを栽培し、三0トンの出荷が見込まれているという。
 本種は、尾張系温州にキングマンダリンを交雑したもので、1915年にカリフォルニア大学のフロスト博士により育成された。私はフロスト博士にお会いしたことはないが、その弟子のスースと博士には東京での国際カンキツ学会議の席上親しくお話したことがある。博士は哲学者にも似た風貌で、育種研究の重要さ、そして、このカラマンダリンはカリフォルニアでは産業化されていないことを残念そうに話された。アメリカではバレンシアオレンジという傑出した晩生柑橘があるので、これを越える品質のものでなければ、新しい産業にはならないという。
 晩生カンキツの少ないわが国では、その産地化が課題であったが、潰瘍病、枝がたれさがることによる隔年結果性等作りにくいのを克服して産地化に成功したのだ。
 昭和30年代に大阪府立大学の農場の片隅で、カリフォルニア大学から導入した柑橘の種子から実生群を育成し、本種の優秀性を見出したのであるが、田中長三郎先生と三重県の桂清吉氏の努力の賜物である。桂園ではじめて結実を見たのであるが、その果実の糖度が余りにも高いのに驚いたことが昨日のように思い出される。約二十一度を検出した時は糖度計の示度を見るわが目を疑ったものだ。
 それが、五月頃に三重県の紀州地帯(主として熊野市以南の地域をん言う。三重県で東紀州とも言う)の国道では近年多く販売されている。特に、遅くまで樹上におくとす上りが見られるので注意が必要であるので、温暖な地帯で栽培されている。
 この糖度が高いという遺伝資源を次代の新品種の育成への重要なキーとして利用すべきであると考えるのは私一人であるまい。


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イラスト  追田照子


レモン

 「君よ知るや レモンの花咲く 南の国」と詩人ゲーテルが歌うように、エキゾチックな南国の楽園を忍ばしめ、詩情をそそるものがある。昭和三十九年の自由化により、ぐっと私たちに身近な存在になった。
 このように書くと、非常にロマンチックに聞こえるが、ここに至るわが国の生産者とサンキストの血のにじむ争いがあるのだ。丁度、この頃私は大学の三回生で、田中長三郎先生のもとで学んでいた。それまでの昭和三十三年に広島県瀬戸田町において全国レモン生産者組合連合会が組織され、会長に、熊本県の甘夏産地の育成で有名な鶴田源志氏、副会長に淡路の榎本栄一氏、広島の大谷清氏など、そして、後年お世話になる、和歌山県の小川行信、桝本勉氏や広島の岡野周蔵氏そして三重県の桂 清吉氏が役員に名を連ねていた。そして、「柑橘研究第13巻」になる「レモン・サイエンス」を発刊したのである。
 そのなかで、河野農林大臣談話に対する生産者の反論陳情書が次のように掲載されている。

  1. 閣下はレモンは日本では気温等によりしてろくなものが出来ないと断定しておられた。
  2. 大臣はレモンは外国品と太刀打ち出来ないのだから温州みかんを延ばせば良いと言われた。
  3. 大臣は植物防疫の重要性を認識して戴きたい。

 これらに対するコメントが掲載されている。サンキストがイタリアレモンに圧迫され、自滅したことがあった。賢明なるアメリカの農政家が適切なる保護政策を行ったため、今日の繁栄が得られた。我々日本の生産者も生命を賭してわが柑橘行のために自由化案に反対するとある。
 私も先生や役員のお供をして上京し、宮沢大臣にお会いした経験がある。
 わが国には、明治初年に導入されたが、その経路については定説はない。洋行帰りの人によりそれぞれの地方に伝えられたらしい。
 和歌山では、新宮の土井留六さんが有名。一時かなりの産地を形成したが、自由化により大きな打撃を受けた。
 最近では、ハウスでの栽培により、冬期の寒さにも安定した生産量を確保できることは大変な福音となっているのだ。ハウス栽培の関係から、わが国のレモンをグリーンレモンとか、ヘルシーレモンとして大いに活用できる。
 先日のA新聞に岩城島で頑張っている福田智子さんの「国産レモン再生にかける」が掲載されていた。「プライドを持っています。外国産には絶対負けない自信があるから」。
 そして、息子さんの言葉がまた振るっている。将来の夢は建築家、レモン農家、そして、皆のためになる村長だという。家族の背中を見て育つお子さんのロマンと日本のレモン産業の底力をそこにみた。味のアクセント役としてなくてはならなくなったレモンと、わが国特産の香酸柑橘により食卓が豊かになることは嬉しいことである。


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イラスト  追田照子


ポポー

二、三年前のことだが、本県果樹園芸界で活躍された本多舜二氏のご長男で、現在岩屋山 福勝寺の僧をしている本多碩峯さんから、今では珍しいポポーの果実が届けられた。確か、有田郡清水町の親類の家に植えられていたとの添え書きがついてあり、この果実を知っていますかと書かれていたと記憶している。
また最近、同級生の和歌山市内にあるSスナックのママさんからポウポを手に入れたという話がファックすされてきたこともある。
今から四十年近くも前になろうか、堺市の仁徳御陵近くの大阪府立大学農学部本館から離れた園芸学棟の前庭に、当時の平井重三教授が植えられたとされるこのポポーの樹があったのを今懐かしく思い出される。最近では非常に珍しい果物になってしまった本種を断念に思うことしきりである。
形が通草(あけび)に似ているのでよく間違えられる。北アメリカ原産の珍しい果物で、現地名で日本名は蛮木瓜(ばんもっか)またはアケビガキといわれる。
 明治時代に日本に入り、各地で庭木に栽培されたという。追熟すると黄色になり、果肉はねっとりとした濃厚な甘さと独特の香りもあってブロンズ色に変わり、柔らかく食べられる。
 種子が多いので、切り分けるのに邪魔になる。縦に割ってスプーンですくって食べるのが普通で、味はすこぶる良い。
 原産地の北アメリカでは果肉が軟弱になり、日持ちが悪いので、地元消費がほとんどであるとされる。
 わが国では、最近はあまり見かけなくなったが、導入の動機は明治三十年代のことで、京都の郵便局にアメリカから荷札のとれた荷物が届き、配達先に困って中を見たらこの苗木だったという。そこで近くの農業関係の試験場に送ったところ、日本風土に適応し、良く育って立派な実がなったそうだ。
 アメリカでは、ニューヨーク州の南部からフロリダ州まで、また西部ではネブラスカ州まで分布している耐寒性の高い品種であるといわれる。
 近年、この果樹をあまり見なくなった原因は種子が非常に食べにくいことによると思われる。 
 我々は学生時代はハイカラな外国種ということで良く食べたり利用したものだが、その後寒波がしばしば襲い、枯死してしまったのが原因と思われるが、今もその味が舌に残っている。 
 今は既に故人となられた平井重三先生の当時は非常に珍しい果樹であったポポーの講義とその温顔は共に忘れられない貴重な体験である。


(続く)


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