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森本純平

カラマンシー

 英語ではカラモンディン、日本名は四季橘と呼ぶ。四季咲き性であるため、春夏秋冬に花をつけ結実する。
 大きさ二〜三cmで、金柑に似ているので四季なり金柑とも呼ばれる。果実は柔軟多汁だが、酸味が多いので、生食には不向きである。
 わが国では、鉢植えとして観賞用の利用が主で、花や果実を楽しむ程度の生産にすぎない。
 世界の亜熱帯地方は主にレモンだが、わが国ではレモンの他にユズ、スダチ、カボス等香酸柑橘類が豊富で、本種の出る幕がない。
 亜熱帯地方を旅してみると、我々がレモンや香酸柑橘を利用しているように、それらの代用として身近に利用される現状に出会う。
 私は1996年の暮れから正月にかけて、フイリッピンを観光旅行する機会に恵まれた。とはいっても、首都マニラとゼブ島の一部に滞在した程度に過ぎない。それでも、この地方ではライム、レモン以上に安く手に入り、身近に使用されていることがわかった。やはり、紅茶には輪切りにして浮かべ、肉料理や魚料理に櫛型にカットされた緑色の切片がつけられている。酸味を利用してのレモンスカッシュのようにしたり、衣類のしみ抜きや麻布の汚れ落しや洗髪などにも利用され、その用途はかなり広いという。
 セブ市はマニラに次ぐ第二の都市で探検家マジェラン上陸する「フィリッピン・キリスト教発祥の地」であり、最初の町造りが行われた「フィリッピン最古の都市」としても有名。ここのレストラン(名前を失念したが)やモーターボートで渡ったリゾート島にもふんだんに利用された。
 セブ市内の滞在したホテルの近くはすぐにバナナ園が広がっていたので、私はその周辺を探索してみたが、カラマンシーはおろか柑橘類は別のところで栽培されているのだろうか。近くの熱帯果物を売っている人に聞いてみたが要領を得なかった。
 そういえば、タイのバンコック北東の四会柑園を見学した際にも、同西方のボメロ園を見学した時も本種の栽培園にはお目にかかっていない。しかしながら、バンコックの水上マーケットやマニラ、セブ市内の露店の果物市場などではふんだんにお目にかかるのだ。
 外国を旅行していると、その国独特の果物のお目にかかるものだ。私は今回のフィリッピンの旅では、熱帯果樹以外に、このカラマンシーがこの国に適応しているのではないかと思うようになった。徳島にはスダチが、高知にはユズが、そして、大分はカボスが生産されているように―。
 次にはこのカラマンシー園を見学したいと今からフィリッピンの旅を心待ちしている。


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森本純平

かぼす

 これほど短期間の内に大きく産業化された果実はそう多くない。その理由は大分県民がこぞってPRしたことによる。その徹底ぶりは、大分空港と言わず、JR大分駅、別府駅、それに別府港、県内各土産物店にいたるまで、一時期には県、団体等がこぞって販売に努力したことを私自身、目のあたりにみた。加えて、近年の一村一品運動の推進によるところも多く影響していると思われる。もちろん、「かぼす」そのものが商品価値が高かったことは言うまでもないが・・・・・。
 大分県で古くから野生種が報告されていたが、経済栽培されたのは昭和46年、大分県から発行された「埋もれた果実かぼす」(吉田喜一郎著)に詳しい。
 かぼすは独特の芳香があり、果汁にはまろやかな酸味がある。松茸にはスダチといわれるように、かぼすは特に地域特産のふぐ料理にと使い分けされる他はほぼ同じで、刺身、焼き魚、湯豆腐、冷奴などに欠かせない。また最近は冬にはお湯割が好まれるようになってきたので、ウイスキーや焼酎に浮かして利用される。そのほか柚や橙等と同様に加工品に多く重宝される。
 現在までに、かぼすには多くの優良系統が報告されており、そのうち一つ、「香美の川」の登録には、私も農林省の登録品種の調査員として参画しているので、特別の思いがある。
 昭和60年であったと記憶しているが大分県津久見市青江畑の通称、神の川に裁植されている原木約80年生樹を調査した。この樹には変異した枝は発見できなかったので個体変異と確認した。この原木は、幹周68cm、高さ330cm、縦、横の幅は約350cmで、樹冠合計40.4立方メートルであった。
 果実を調査したところ、普通系統に比べやや小さく、無核果率が高いことが確認でき、無核果の先輩の「祖母の香」と比較して果梗部の溝が無いため果皮が滑らかであることが確認できた。しかし、樹体や葉などについては普通かぼすや前者と比較して差が見られなかった。
 担当されている大分県柑橘試験場津久見支場の三股正氏に聞いた話では、本種に有核の甘夏、柚、普通かぼすを授紛しても有核にならないことであった。普通かぼすに比べ果実が小さく、しかも結実性が高いので結果過多にならないように早期摘果を行い、果実の肥大促進を図る必用がある。
 このかぼすの利用法については、足立和子著の書物「かぼす健康法」、「かぼすの食べ方」に詳しい。この分野の研究に詳しい谷中登希男氏も述べているように、近年香酸柑橘が健康食品として関心がたかまりつつあるのは喜ばしいことであ


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森本純平

ランブータン

 マレー語の「頭髪」をいみする言葉に由来している。その姿を見るとすぐわかるようにウニのとかげを柔らかくしたような濃紅色のひげがたくさん生えているからだ。  私がタイを訪問した時、特に目にかかったもので、今までも覚えている美味しいものの一つである。
 1980年のゴールデンウイークに大阪府立大学の矢吹元学長に紹介をいただき、カセサート大学の副学長のワットナ・スチンスワート博士の案内でカンキツ園をみる目的の旅行をした。タイ滞在中の二日目の5月3日、ワット博士とタイセントラルケミカル社のピッシュ・スプピサン氏の案内でバンコック北東のナコン・ナヤクの四会柑の園を見学した。その時に本種を始めてみた。
 本種は純熱帯的な多湿の気候を好むということで赤道直下でも海抜300メートル以下の、土が深く肥沃な地が良いとのことだった。繁殖はすべての熱帯果樹と同様、通常実生、取り木などによるという。
 果実は直径2〜4センチの球体で、果皮は簡単にむけ、つるりと出てくる白色半透明で寒天状の果肉を食べる。甘み、酸味が程良く果汁が多くて香りもよい。生果は輸入できないが冷凍品は和歌山のスーパーでも見かけることができる。レイシ、リュウガンと同じ仲間であるが、毛がはえているのはこの趣だけだ。
 ところで、私のタイ旅行中にレストランで出くわしたのだが、非常に美味しく今はこれを求めて和歌山の果物店を捜すまでになっている。
 以前、Fスーパーで良く見かけたが、いまでは少なくなっているのか、あまり見られず残念だ。近くに大きなスーパーができたので大変なのだとN果実店の店主が話していた。我々に熱帯果物の食べる機会が少なくなっているのは、はなはだ残念なことだ。やはり、規制緩和により競争がし烈になると市民のみなさんに珍しい味を食べてもらおうかなという気持ちがやや薄らぐのかな。寂しいな。
 ランブータンがわが国の人にもあいされるようになれば食生活も豊かになるのにと、タイ国訪問を思い出している。


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森本純平

スダチ

 徳島県の香酸柑橘研究家、谷中登希男氏から香酸柑橘V巻《日本の酢みかん》とW巻《日本香酸柑橘の研究、特に種、形態及び組織に関して》の二冊の本と共に香り高いハウススダチが二パック贈られてきた。
 彼は私の大学時代の先輩で、この分野の研究では日本の第一人者だ。そして、1981年に東京で開催された国際カンキツ学会議では、徳島県果樹試験場の音井格氏と私の三名で「日本における柚近縁の酢みかnについて」を発表、多くの酢みかんを実物展示し、世界の学会参加者に日本版レモンのオンパレードとして好評を博した仲間でもある。
 既に1988年に、このシリーズのT巻《四国の酢みかん》、1990年U巻《四国及び九州の酢みかん》をそれぞれ出版しており、寄贈の栄に浴している。
 T巻に曰く、「香酸柑橘と別名、酸果柑橘あるいは香辛料柑橘とも称し、俗に酢みかんという」とある。日本各地には、70種ほどの酢みかんがあり、果実も大小さまざま多種多様だ。地方の特産物となっている。
 一般っぱくて食用に適さないが、果汁中にクエン酸やリンゴ酸などを含み、アミノ酸とともに爽やかな酸味を持ち、ビタミンCも豊富。果皮に含まれる精油にはリモン、シトラールの他多くの香気成分があり、調味料、薬味としてその風味を賞用するものをいう。
 スダチの発現については、偶発実生か、枝変わりかは明らかでない。1709年に「阿州にてスダチという」と小野欄山の書物に明記されているという。
 以前以外では良質の果実を産しないとの伝説があると聞き、本当かなと疑いを持ち、鬱蒼とした大麻山に登り、スダチの適地を確認したことがある。結局、これは、余り産地を拡大しない、特産地確保のための方便だと今でも私は思っている。
 西洋料理におけるレモンと日本料理のスダチの果汁を焼き魚にふりかけて食べてみた。何とも言えない満足感を味わう事が出来、送り主に再び感謝の気持ちがわいてきた。
 以前に阿波踊りの頃からやっと出始めた露地ものが、最近では五月頃から食卓を楽しませてくれる。マッタケとは相性が良く、どびん蒸しなど味のアクセント役として最高だ。


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森本純平

レイシ

 茘枝と書き、中国読みではライチー、英語ではリチー。最近では、スーパーの店頭にも常連のようにならぶようになり、決して珍しい果物ではなくなった。マリーナシティーのバイキング料理にもふだんに出されていた。主に台湾等から豊富に輸入されるようになったのは嬉しい傾向だ。
 私は昭和五十三年のゴールデンウイークに台湾果樹考察団の一員として台湾各地を旅行する機会を得た。実は、独自で蔡平里教授の案内で、国立台湾大学へ訪問の計画をしていたが、飛行機の切符が手に入らず、右記考察団に加えて頂くことになったのである。お陰で、多くの知己を得ることができ、しかも、台北中心の計画が、台湾全土を見せていただく光栄に浴した。北は台北から、南は高雄、最南端のガランピまで旅行することができたことは幸いだった。
 レイシの園を見たのは確か、京都大学に留学していた先生(名前を失念したが)の案内で訪れた高雄(カオシュン)の近くであったと記憶している。レイシの樹は一般に高さ七メートル以上にもなり、果実は台湾では六月頃に紅く熟し、球形ないし倒卵形で白色半透明多汁で、甘酸相和しゼリー状で香気を有する。
 古来、中国人にことのほか好まれる果物で、これを口にしないと食事を終えた気がしないと言われる。「これを剥げば凝りて小晶のごとく、これを食えば消えて降雪のごとし」の詩はレイシの特質をよく現した名句として伝えられている。当初台湾から輸入された時のキャッチフレーズ「真紅に秘められた白い誘惑」が何とも言い得て妙である。わが国にはこの台湾産のレイシが冷蔵で輸入され、日常安く食べることが出来る。
 その繁殖は実生によるが、種子を果実から取り出して長くおくと、湿度が低くなり過ぎ、発芽率が低くなる。また、発芽後の育成は極めて遅く、二〜三年で定植の大きさになるが、移植が極めて困難で、枯死する率が極めて高いという。また、生育は極めておそく、開花、結実まで七〜八年もかかり、盛果期に達するのも遅い。その上、果実は、収穫後生果の鮮度を保つのがせいぜい十日間程度に過ぎず、短期間に消費者に届けなければならない。いわゆる、その生産は言うに及ばず、保蔵流通も大変であるとの話を伺った。
 私はこの台湾旅行がレイシと共に強く印象に残っている。それは可愛いバスガイド姉妹に教えてもらった次の歌のせいかも知れない。ロマンチックな旅情をかきたててくれる。雨夜花(ウヤエホエ)だ。

「雨の降る夜に咲いた花は
風の間に間にホロホロ落ちる
明日はこの雨やむかも知れぬ
散るを急ぐな可愛い花よ」。
 この台湾の旅は私の人生の大きな一頁になっている。

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森本純平

ヤマモモ

「やまももの 落つる音なし 五月雨」  芭蕉

 昨年七月上旬に下津町橘本にある福勝寺の本多碩峯氏からメールでヤマモモの画像が送られてきた。
 「ヤマモモの出荷が始まると、ほのかな清々しい山の香りがただよってくる。梅雨の晴れ間の陽光はさんさんと強く降り注いで、誰の身体にもけだるく感じるのであるが、六月の中旬から熟するヤマモモの実は甘酸っぱくさっぱりとして、人の口のも良く合う」と主生産地、徳島県の歌人井上康雄氏が述べている。
 ヤマモモは、中国大陸南部と日本原産とする雌雄異株の常緑喬木で、北半球の暖帯から亜熱帯にかけて広く見られる。我が国では千葉県以西の太平洋岸に広く分布し、京都府以西の日本沿岸にもわずかながら自生があるという。
 ヤマモモは楊桃、山桃などとも書かれ、昔からこの良くなる年は赤痢が少ないと言われてきたが、これは梅と同様にその核の酸に含まれているタンニンのためだとつたえられる。
 ママモモの多くは、完熟すると紫紅色になるが、淡紅色のシロモモもある。
 「鬼モモというのが実に大きくて一番甘い。木の上で食べる本種は何とも言えない美味しさがある。近藤種(瑠光)は実は大きく、酸が強くて脂臭いが、よく熟すると美味しい」と井上氏の言葉だ。
 わが家にも、ヤヤモモの木が三本ある。大玉種の大木が二本と小玉のシロモモが一本。大玉種は住居からすぐ裏山にあり、シロモモは山腹にあり、それが毎年捜すのが大変だったが、それがまた楽しみの一つであった。
 今から五十年以上も昔のことで、大玉の果実のなる樹は二十メートル以上にもなるが、下が竹藪で葉が生い茂っているため、樹上から地表面が見えない。そのため木がサクイにも関わらず、恐怖感は余り感じなかった。今ではこの二樹は竹の勢いに圧されて、昔の大木の面影はみじんもなく、やせ細っている。あと何年もつかわからないのが頭痛の種だが、されとて特別に手を加えてもいない。
 我々の子供の頃はヤマモモ取りの思い出が遊びの一部を占めていたような気がしてならない。毎年六月に入ると、この楽しみがあるが、真っ白なシャツが独特の紫紅色にかわるので母への言い逃れは誰も出来なかった。
 昔は家業が山産物の商売をしていたため、曾祖父が奉公人に日頃は「仕事はあまりしゃべるな」と言っているのに、ヤマモモ取りに駆り出した時には「話をしながら取れ」と言った話を後年聞かされたことがあり、その厳しい情景が目に映ってくる。
 樹上で収穫しながら食べる楽しみはヤマモモ取りの妙味であるのに、それを取り上げてしまうのは、如何なるものかと感じている今日この頃である。


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森本純平

ざくろ

 「石榴の実 いまだ青しを待ちしより今日雨にぬるる 大き紅 佐藤佐太郎」
 以前、かつらぎ町のM園芸や海南市のS社に、アメリカから優良なザクロの導入を依頼され、カリフォルニア、テキサス、フロリダ地方の知人に頼み、「ワンダフル」等の数種の石榴を導入した経緯がある。
 アメリカ種は、大果で皮が薄く優良な果実を生産ので、県内でもさいばいされているが、数量は極めて少ない。
 昔は各家庭に植えられていたのをみたが、確かに、種子が多く、食用部が少ないため、簡便性を好む現在の風潮に向きにくい。
 石榴は、ペルシャからインド北西部にかけてが原産で、ペルシャでは、有史以前から栽培された。「パビリオンの庭」でも植えられていたと聞く。地中海地方の気候に適し、南ヨーロッパ一帯に広がり、次第にアメリカ大陸にも栽培されるようになった
 東洋では、インドで広く栽培され、中国へは、チベット経由うで三世紀頃に導入されたらしい。華北、華中一帯に広く栽培され、中秋の名月では欠かせない果実とされ、たくさんの種子が充満しているところから子孫繁栄の記しとして結婚式にも利用され、果実のなかでは最も高価なものとされる。
 日本には、中国を敬有して伝わり、梅と同様に、花木、庭園木、盆栽として発達したが、果実としての地位は低い。もし、果樹として順調に改良されていれば、産地が出来ていたのではないかと思う。
 主産地は山梨県。「甲州の八珍果」として言われたが、今は、カリフォルニア産に押されて、限られた生産量に止まる。
 果実は、球形で、成熟するとくすんだ紅色となり、先端部が裂ける。果肉は六室からなり、真っ赤な種が沢山並んでいる。果汁は甘酸っぱく独特の風味がある。
 最近、中高年の女性の間でブームなのは鉄分やカルシュウムのほか、女性ホルモンのエストロゲンと同じ働きをする成分を含み、更年期障害などの症状を緩和する効果が期待できるためだという。「のぼせやイライラ、倦怠感、頭痛など」も防げるとか。
 またエラグ酸は抗がん作用のほか、鎮静作用、快眠促進作用もある。果皮や根に含まれるタンニン成分は効ウイルス作用があるため下痢止め、整腸、止血やうがい薬としての効果が期待できる。
 このため、Tフルーツ店では「ヘルシーエキスコーナー」を新設し、この健康果実の濃縮ジュースやケーキを売り出して「あっさりとして飲みやすく、気分転換によい」と好評を博している。またA社でも健康食品として種子エキスとコラーゲン、ビタミンCを混ぜた商品を売り出して好評だという。
 現職の時に、果樹園芸試験場の朝倉碑の片隅に植えたザクロはいまも健在かなと、最近しきりに思い出される。


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森本純平

 「赤いリンゴに 唇よせて 黙って見ている青い空」
 りんごは絵にも歌にもなる果実で、欧米では、このアップルが果物の代表選手。
 原産地は、コーカサス、小アジア地方で、紀元前三世紀頃の博物学者カートーは七種を紀元前一世紀頃の同プライニーは三六品種を記載しているので、史実にもとづいても二千年以前から食用に供されていたといえる。一般的には、四千年前のギリシャ、ローマ時代には、すでに栽培が始まり、ヨーロッパ全体に広がったのが通説となっている。しかし、十六世紀頃までは現在のもよりずっと小玉であり、イギリスで品種改良され、その後アメリカに渡り、十九世紀に、美味しい大果品種が多く育成された。
 この品種は、文久年間(1861年頃)に輸入され、わが国ではわずか百年の歴史なのである。
 明治の初期から「国光」「紅玉」が基幹品種として君臨したのであるが、現在では「ふじ」を筆頭に「スターキング」「つがる」等食味、色彩、香気の三拍子揃った世界的な品種が育成され、育種にかける情熱は世界に先んじている。元青森県リンゴ試験場の渋川潤一氏によると「栽培が始まって百年の歴史しかない日本で創造された新品種が、リンゴの原産地のヨーロッパで羽ばたいていることを知る人は少ない。今日もまたリンゴ創造に生涯をかけた研究者達が砂の中のダイヤモンドを求めて困難な仕事を黙々と続けている」と述べていることからも明らかだ。
 リンゴも、梨と同じように、多雨多湿の風土で病虫害防除のため袋で被って育てる。加えて、葉緑素の形成を抑え、除袋後の果実の色を鮮やかにさせることにも役立っている。確かに色はきれいであるが、味の店では無袋のほうが糖度が高いのが一般。そのため、外観で味のよさを見分けることは困難でこの、わが国独特の奇妙な美意識は大いに考え直さなければなるまい。
 「りんご一個で医者いらず」という格言がある。最近の果樹研究所のホットニュースによるとリンゴを食べると中性脂肪が減ることをつきとめたという。ビタミンCの増加や腸内の悪玉菌を減らし、善玉菌を増やす働きなども確認した。人間の生理作用の正常化や高脂肪血症など生活習慣病の予防に適することが解った。リンゴに健康増進効果があることが科学的に証明された子で、今後の消費拡大に期待がかかる。
 県内でも紀北のの雨山や天野のリンゴ観光農園がよく知られているがいまだ訪れたことがない。昭和39年に、みかんのCA貯蔵試験を実施するにあったて東北地方のリンゴを見学する機会に恵まれた。当時の果樹試験場盛岡支場長の西山保直氏と間苧谷徹氏(いずれも後の果樹園芸試験場長)が車を自由に使わして、案内してくれた親切は今でも忘れられない。私にとって数少ないりんご園の思い出である。

(続く)


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新年の抱負
わがやどの花たちばなに ほととぎす 今こそ鳴かめ 友に逢へる時  
大伴書持(万葉集)(シトラスシリーズ No.30)
                        2,002年  橘の春                       
                                                          

森本純平


明けましておめでとうございます。皆様如何新年をお迎えになりましたか。
毎年、私はかんきつの歌を皆様にお届けしていますが、本年はこの歌をお送りします。大伴家持の歌は多いのですが、息子の書持の歌は比較的少ないのでこの歌を引用しました。21世紀への伝言板「和歌山県果樹発達史」を早期に刊行したいという意思を込めています。
果樹王国和歌山と言われて久しいのですが全国に誇れる書物がみられないことが悔やまれてなりません。何とか早くこれを出版したと考えています。果樹農業が非常に厳しい情勢に直面していますが、そんな時こそ温故知新、昔の歴史に学ぶことが必要なのです。近い将来に出版出来るように努力していきたいと思います。
それから、一昨年6月に「柑橘研究 16巻」を刊行しました。王国和歌山が何時までも維持できるようにとの願いを込め、しかも、世界では、バナナ、ぶどうを追い抜いてトップを維持し、皮の剥きやすい温州みかんのでの柑橘に手を伸ばしている現在、1人日本は生産量が従来の1/3にまで落ち込んでしまっています。この書物により
世界の情勢やニュースを中心に、今後の和歌山が果樹王国を維持発展していくためにまとめてみました。 
また1昨年は11月〜12月にかけて国際柑橘学会議出席を兼ねてアメリカのフロリダ、カリフォルニア、ミシガン各地を旅し、昨年は7月上旬から国際柑橘種苗会議参加を兼ねてブラジルを11日間にわたって旅して来ました。これらの経験からこれからははひとりわが国だけでなくグローバルな視点から産業をとらえていくことの重要性を身にしみて感じてきました。
そのため、世界の柑橘情勢を身近に知るためにフランスのコルシカ島でクレメンチィン栽培100年を記念して2002年に開催されることもありわが国では'93年に温州みかんの発生の地鹿児島県長島の東町で開催された「世界マンダリン祭
inAzuma-cho」の第2回をマンダリン栽培400余年の歴史がある和歌山でそれを記念して「2005  世界マンダリンフェスタ in Wakayama」の開催を強く要望したいと思います。
さらにまた、関西国際空港が近くに開港し、世界に開かれた和歌山に、そして多くの方々が訪れてくれる、一味違った和歌山にするために「和歌山まるごと果樹園により世界のリゾート Wakayamaをつくろう」と考えています。
年頭のご挨拶を申し上げました。


森本純平

 「美しき香りをもてる仏手柑のその木見たしと手にのせて思う 己巳子」
 果物屋ではなく、花屋の店先に時々鉢植えが顔を覗かせる。果実の形が手の指を伸ばしたような形からこの名前がつき、まさに千手観音をほうふつさせる。 初めて見る人には、この奇妙な姿、形からとてもかんきつの一種とは信じがたいことは容易に想像できる。
 原始的なかんきつで正式には手仏手柑としてヨーロッパに多く栽培されているシトロン(日本名:丸仏手柑)と区別される。名前にふさわしく釈迦の生まれた国、インドの原産で、中国に伝わり、江戸時代の初めに琉球を経由してわが国に伝来したといわれ、元禄九年(1696)の農業全書に図解が見られる。
 形のユニークさから絵画、彫刻などの美術工芸品の題材にも用いられ、陶器や置物等がロンドン博物館や中国の古美術愛好家のもとに大切に保存されている。また、古代より不老長寿の珍果実として漢方薬に利用されてきた。果実を薄く切り、かげ干して乾燥させると肝臓病によく効き、美容にもよい。
 以前、高野山への登り口の整備地の栽培品目を検討した時、本種のハウス栽培を提唱された方が、私もこれは名案だと思われ賛成した記憶がある。高野の帰りに仏手柑の鉢植えが土産物として最高だと思われたからだ。現在その実を利用して「ざぼん漬け」ならぬ「仏手柑漬け」が販売されている。
 主に鉢植えや盆栽として愛されてきたが、熱帯性のため、低温や霜に極めて弱い。以前は湯浅町田栖川、広川町白木、田辺市上秋津等の無霜地帯で露地栽培をかなりされていたが、現在では安定生産のためにハウス栽培が欠かせない。
 本種は京都大徳寺等、全国のお茶会等ではなくてはならないものとされている。そのため、大学恩師の奥様に依頼され、同僚の山城泰昌さんにお願いして、吉備町の木根道好さんを紹介してもらった。彼は当時五アール程度栽培されていたが、現在では需要が少なくなり、栽培規模を縮小していると伝え聞くにつけ、さびしい思いがし、需要の拡大を願わずにはいられない。
 「仏手柑は一つとして同じ形が出来ないので、画家や彫刻家等から美術工芸品の題材として人気が高く、わざわざハウスまで選びに来てくれたりして農業以外の人と付き合いが出来たとしても視野が広がります」と笑顔で話されていたのを思い出す。
 例年、わが家も有田の卒業生にもらった仏手柑を玄関に置いて新年を迎えているが、香りがよく松の内の気分をいやがうえにも高めてくれるので、近所の人にも好評である。
 世の中がせちがらく、殺伐とした現在、仏手柑を床の間に飾ってお茶を楽しむくらいの風情を持ちたいと思うのは、私だけの贅沢な思いなのだろうか。

森本純平

温州みかん

 「たしがれの 蜜柑むきし爪さきの 黄なる香りに 母をおもえり 土岐善磨」
 紀州路は温州みかんの収穫であわただしい。世界に誇れるこの温州みかんは、英語ではサツママンダリンと呼ばれるように鹿児島県長島の東町で、中国からもたらされた果実の種子から偶然に発生した。
 書物にあらわれたのは、江戸時代の天保年間(1930〜44)、紀州最古の「南海包譜」に温州橘として出ており、嘉永年間(1848〜54)に「桂園橘譜」にも描かれている。しかし、当初は栽培が伸び悩んだようだ。これは、有吉佐和子の「有田川」に詳しいが、種なしという迷信で忌み嫌われたことによるといわれている。
 大きさ、美味しさ等の実益が認められ、明治以降急激に栽培が伸び、系統も多様化して、今では、「極早生」「早生」「中生」及び「晩生」に分けられる。露地みかんは収穫してすぐ出荷される九月中下句から、貯蔵して出荷する三月まで。その後すぐの「ハウスミカン」は四月上旬から出回り、周年にわたって我々の口に入るため、旬が何時かわからない程になっている。
 和歌山県では、みかんに生きる本家の伝統と誇りをかけて、最高級ブランド「味一(あじいち)」をつくりだした。成熟期に雨が多いと、糖度が低くなるため、地表面をマルチして、降雨の流入を防ぐ。また、大果は淡白なため、枝にまとめてやや多めに結実させる等色々工夫して、少しでも美味しい果実を消費者に届けるように生産者、JA、県が一体となり懸命の努力をしている。
 六十二年十一月に私はこの温州みかんのふるさと、鹿児島県長島の土を踏んだ。原木は東役場近くの鷹の巣にあり、山崎 司氏の所有であったものが、二十三年前に枯死し、二代目の樹が健在で推定樹齢は五十年生位であったろうか。大変興奮したことを憶えている。退職時の九八年に再訪したが、その時には古木が見られなかったものの、温州みかん発祥の地とした「日本マンダリンセンター」が立派に設立されていた。この二回の長島旅行が私にとって生涯忘れられないものである。
 もう一つの温州みかんお思いではニュージーランドにある。九九年五月にオークランド北方のケリケリにKWAN農園を訪ねた。このオーナーのロジャー・デービス氏の案内で四0haの園内を案内してもらった。宮川、興津、及び美保の各早生温州を中心に、約四m間隔に植えられていた。土地は浅く、やせてはいるが、紫外線が多いため、わが国の約二倍生育するという話を聞いた。彼の名前から「露地屋」というブランドで五月上旬からスーパーの店頭にその果実が並び、日本のハウスみかんと競合している。不幸にして彼は私が訪問した翌年亡くなったので、果実を見ると、短かったが充実した彼とのつき合いがなつかしく思い出される。


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森本純平

バレンシアオレンジ

 この名前を開いただけではピンとこない人でも、ネーブル (へそのあるもの)以外のオレンジを呼ぶのだと言えば、納得される方が多いと思う。それほど、世界で最もポピュラーな柑橘で、生果よりもジュースとして飲用している方がはるかに多い。 
 サンキストブランドは余りにも有名でオレンジの名前と間違う程だが、アメリカ産以外にも最近、南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリアからの輸入が加わり、将来はスペイン、チリ等とともにサバイバルゲームを演じることになる。現に、ブラジルからこの濃縮ジュースが低価格で輸入され、日本の果樹産業は大きな痛手を被っているのを目のあたりにしている。
 本種は十九世紀末に、大西洋のアゾレス島からイギリスに渡り、フロリダを経てカリフォルニアに伝わった。後に、スペイン人の栽培者が見て、自国のバレンシア地方のオレンジと同種であると言ったことで、バレンシア・レートと呼ばれるようになつた.しかし、同地方には同一のものはなく、ポルトガル説等も出ており、起源は明らかではない。
 わが一国には、明治三六年、田村利親氏により導入されたが、冬の寒さが厳しいため、生育が止まり、風味が淡泊なのはぬぐえない。また、夏が高温になるため、回青現象 (かいせい=いったん黄色になった果実が再び青色になる)など間題点も多い。
 昨年七月にブラジル国際種苗会議に出席したが、ブラジルは世界最大の生産国で、冷凍濃縮ジュース (FCOJ)を約百二十万トン生産し、フロリダの柑橘類は一般的に色が薄く、糖度も低いため、その色や糖度を上げるためブラジル産の果汁とブレンドすることが必要とされる。 視察したカンブイ農業社の苗木生産では、三年生苗を温室内で十万本育成していた.穂木の大部分は本種で、台木はラングプワーライムが主で、クレオパトラ、スイングルシトロメロ、カラタチも見られた.各苗は六・五Lの容量のプラスチックポットで育苗されていた。ハウス内の穂木採取用母樹も本種が主で、他にはベラ、ナタールなど。 
 1981年に、わが国でも本種を栽培できることを、カリフォルニア大学のビタース教授に見て頂くため、田辺市上秋津の主産地を案内したことがある。彼はこの時に新ウイルスを予言したが、これが現在蔓延しているエキソコルティス・ウイロイドであったのも偶然であった。ここは以前から柑橘類品種の宝庫で、県果樹品種研究同志会の二代目会長、芝 文夫さんは長年、バレンシアにこだわって栽培きれていたが、最近、ボンカンや不知火などに改植されているとの便りを聞くくにつけ残念でならない。
 収穫してすぐの新鮮さ、みずみずしさをもった旬の果実という付加価値では消費者ニーズを取り戻せないものか。


森本純平


八 朔

 「和歌山日本一物語」の「さつきはっさく」には、「生なりで越冬させ、春に収穫」とあり、非常に感慨深い。というのは、私は昭和六十年から六十一年にかけて、由良町内の二、三の園地で八朔の果実品質を調査したことがあるからだ。
 和歌山の八朔産地は南北に広く形成されており、それぞれの気象の気象、立地条件及び土壌条件は異なっている。果実品質と栽培立地条件との関連を比較し、産地間差を見つけ、その改善目標を設定するねらいだった。
 粉川町、金屋町と比較して立地条件が良い由良町は越冬できる強みを持っている産地である。由良町農協(JAグリーン日高)の柏木技術員に園地を三ヶ所選定してもらい、日高農業普及所の萩普及員等の協力を得ながら、県果樹園芸試験栽培部職員が一丸となって調査に取り組んだことが懐かしく思い出される。
 調査の結果、産地間には収量、品質に差が見られた。由良は他の産地が十二月収穫に比べ、一月中〜下旬と三月下旬の二回にわたり収穫し、「木なり」及び「さつきはっさく」として有利に出荷していることが明らかになった。
 県農業試験場の辻 和良主任研究員によると、この「さつきはっさく」の産地、三尾川地区に初めて八朔が導入されたのは昭和四十九年頃であるという。当初は、年内に収穫し貯蔵していたが、六十年ごろから樹上で越冬させる事を発見、現在に至っているとのこと。しかも、高価格で取引された。
 しかし、本格的に由良町の八朔が増加するのは、普通な夏みかんが衰退期に入った六十年代からのこと。由良町農協では昭和五十五年から「さつきはっさく」と「木なりはっさく」を区分して出荷してきた。紀ノ川流域産地との間に価格差が大きくなっていると書かれている。
 由良町内でも海岸沿い地域にあたる三尾川の里地裕一さんに話を聞いたことがある。当時は全盛であった「さつきはっさく」も、近年では冬風が強く当たり、果実を樹上に遅くまで成らすと剪定の時期も遅れがちになること等から、樹勢が劣り、ウイルスも罹病しやすく、連年安定生産が難しくなり、当時よりは量が少ないこと。樹冠上部を早めてとり、下部を遅くまで残す方法やウイルス抵抗性苗木を導入し、積極的に完熟産地の維持につとめているという。さすがに、『完熟』をテーゼにして受賞した朝日農業産地の意気込みが伝わってきた。
 最近では、早生温州のほか、「ゆら極早生」に力を入れて取り組んでいるという。
 頑張れ、完熟こだわり産地! と声をかけたくなる。
 くだもの言葉は平安で、二月二十九日の誕生果という「。紅八朔、早生八朔の探索など私にとって八朔への思い出は尽きない。


森本純平


三宝柑

 果形になんともいえぬ風情があり,静物画の対象になることも少ない。先年、年賀ハガキのデザインになったことは覚えておられる方もあろう。私の研究所にも徳島の知人からもらった三宝柑の見事な絵画がかけられている。料理屋では果皮を容器代わりに使って風情を出してくれるのもまた楽しい。
 「その大きさ柚のごとして、そのほぞ乳房の如く高起りて、その状すこぶる壺に似たるをもって壺柑と名づく」と岡村尚謙の「桂園橘譜」に書かれているのが最も古い記録とされ、起源は明らかではないが、徳川時代には和歌山城内にただ一本あり、城外持出し禁止であったらしい。おそらく、橙や柚の偶発実生(種子が地上に落ちて自然に一本の木になる)により発現したとみられる。田殿村(有田川町吉備)の大江城平が接木し、田栖川(現湯浅町)の千川安松が分譲してもらい、有田地方の特産物となった。まろやかで、スッキリした、初夏の味が忘れられないという三宝党も少なくない。しかし、皮が厚い、種子が多いことに加えて、す上がり果が外から識別できないため、不評の原因となっている。現地では早めに収穫して信頼回復に努めている。果物言葉は富、永遠の心で三月一日の誕生果という。
 私が三宝柑の栽培が多い栖原海岸を訪れたのは、確か高校時代で、和歌山県の著名な博物学者の坂口聡一郎先生に連れられて磯採集に出かけたのが最初。磯生物の種類の多いことに驚き、且つ感動したことを覚えている。三宝柑の樹に出会ったのもここが最初で、柑橘界でお世話になった遠因にもなっている。その後、大学時代に池田富喜夫先輩(現東京農大教授)のウイルス研究の材料採取には施無畏寺の中島昭憲氏に色々とご協力、ご指導頂いた。今、お元気だろうか。そして、本種に出会い、果樹園芸試験場時代もよく相撲を取った栖原海岸は、昔のままだろうか。
 後年、和歌山城内に三宝柑を記念樹するにあたって、和歌山ロータリークラブに依頼され、安藤精一先生と説明文を分担し手書いたのも遠い思い出である。今もこの看板が天守閣の近くに立てられているだろうか。数々の懐かしい思い出が私の胸によみがえってくる。

 終わりにあたって六十回になりましたので筆をおきます。五年にわたりご愛読ありがとうございました。ここに登場した果物には、それぞれの歴史や個性が、そして独特の風味もあります。まさに『百果是真味』で、この小さな果実がその持ち味を最大限に発揮できるよう。より興味を持ち、理解を深めて欲しいものです。これからは、WBS和歌山ラジオの毎月、第四木曜日、午後三時後十分の『緑のそよ風』のふるうつさろん」の放送でお耳に掛かりましょう。
    ありがとうございました。


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