挨 拶

合掌
  いつの時代でも、好不況あり、倒産あり、病あり、死がある。一般に失ないたく無いものが、肉体であり、物質であり、財産であり、金銭であり 、名誉等であります。
 一方私達は如何なる苦しい境遇に直面しようとも、尊い向上心がありま す。沢木興道師の言葉に「悟りにとどまり、金にとどまり、名誉にとどま り、色にとどまり、とどまらぬのが仏法である」と、人間は悟りに執着し、お金や名誉を得ると、それを失うまいとする。それにとどまろうとする。だからこそ、苦しみも、悩みも出てくる。ところが仏教はそういうものに執着せず、とどまらないものだと、沢木興道師は教えている。
 本来人間は最も清く尊い完全円満な「神の子」「仏の子」であると、遠く古くは空海が「秘密宝鑰」で述べられおります。近年では生長の家の創始者谷口雅春氏が「生命の実相」(全40巻)の中で詳しく述べられています。
 日本人の先人、空海、最澄、法然、親鸞、日蓮達が五百年から一千年以上を経過した今日でも、古くもなく、明日への明るい希望のために指針を戴いております。実は失いたく無いものは無常なもので、消えて無くなるものであります。
 永遠に消えない実在する尊いものを中心に生活すべく、私達は宗派を越えて先人達の御教えの伝承を現在人の日常生活に生かせていきたい。特に、老人、障害者、青年、環境公害、ビジネス問題に直面したり、それどれの分野で取り組んでおられる方々の問題提起であったり、解決への指針を述べて戴く雑誌でありたい
                                               


道と路


道といっても、道には色々あります。ケモノの道から高速道路まで、戦前まで、わが国では道とつく道路はケモノの道か人間が歩く事の出来る道路ばかりであった。今日ではケモノや人間が阻害された車だけの道路、高速道路が生活の主流に成っている。
 当地、下津町は江戸時代の紀ノ国屋文左右衛門は下津港を基点に紀州と江戸との間に交易の海上ルートを開き、紀州みかんをはじめ数々の商品の流通に活躍、江戸の庶民に大変喜ばれた事は有名な話です。昔の海上ルートも道の一つです。
 私がお世話になっているお寺、高野山真言宗・岩峰寺は熊野古道の藤白山頂上(海抜300)に位置していますが、平安時代から鎌倉時代に特に盛んに熊野詣が行われた熊野古道筋にあります。
 道でない道に華道・茶道・柔道等々他に神道・仏道があります。
(「正法眼蔵を読む」(上中下・日本教文社発行)より:「身学道」というのは、この全身でもって学道する事である。日々の行いが、そのまま学道であり、肉体の学道である。しかし実をいうとこの肉体を使って学道するというのではない、この肉体が本当は学道より来ている。天下の大道が、肉体となって現れている。学道の具体化したものが肉体である。そこで身にて学道する。全ての肉体は、本来学道そのものである。この学道は尽十方世界にみちみちているから、それが本当の身体だ。宇宙一杯の存在であり、生死し去来する全てがこの身体である。それ故、この身体を動かして行動し、十悪(殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語・悪口・両舌・食欲・瞋恚・邪見)を離れ、八戒(殺生・偸盗・性交・虚言・飲酒・装身化粧・歌舞伎見物・贅沢な睡眠や食事の八つを絶つこと)をたもち、三宝に帰依して、家を捨て出家する。これが真実の学道なのである。従ってこれを真実人体という。悟ればもう戒をまもることはいらぬなどという愚かな自然見の外道におちいってはならぬ。行をおろそかにし、戒を軽んじて、何の学道がありようぞ
 


脚本のないドラマ

八方塞がりでも天は空いている

1976年に4ビットマイクロコンピューターでFA(ファクトリーオートメション)のシステム器機(当初は量産工場のライン自動検査機器)の開発製造を目的に設立、当時は制御装置と駆動部分の装置(メカ部分)がそれどれ別の会社で開発製造を受け持ち、ユザーの要望に応えていましたが、時の経過する中で、パルスモーター、サーボモーター、或いは交流サーボモーターとその応用で精度の要望に応えられるようになって、技術の進歩と共に我が社も企業内に友人の精密工作技術集団を迎え入れコンピューター応用制御装置と精密器機のベンチャー企業集団として一つ屋根の下で、若い技術者集団企業即ちベンチャー企業集団が生き生きと活動していた。
 昭和62年、残念無念、メインバンクのM銀行の支店長室で、1時間後に素晴らしいあの支店長の眼に涙の光を見た瞬間、妻と役員と同時に「お世話に成りました」と倒産を覚悟した瞬間から、全く初めての世界に突入する事になったのです。
成功とは持続なり」を心に銘じて来た私に、脚本の無い、いつ終わるとも解らない、主役を演じる、大ドラマが予告もなく開幕したのです。
「 ベンチャー企業として発展期に必要とする資金にワラント割引債券を発行、取引銀行からの無担保借入、その結果の倒産劇、しかし、連鎖倒産を心配する小規模外注先への手形支払いに主取引銀行から現金を預かり、支払済の手形を回収させていただく行為に感謝、ともかく、連鎖倒産が防げたこと.
 或る都市銀行D銀行の支店長から保存食品の差し入れを夜中に代理から頂いた感謝、感激、又或る地方銀行の支店長から、支店長会議で、本多の家財を早く差し押さえしたらの提案に、支店長は「本多さんの様な人から無担保で貸したからと言って家財道具まで差し押さえできない。もし、どうしてもとおっしゃるんなら、私の給料から毎月少しずつ提出します」と申し出したそうです。会議で「債権を処理しましょう」と言うことになり、支店長より「本多さん当行の事は一切心配しないで下さい。一日も早く立ち直って下さい」の言葉を頂いだきました。
 或る大手客先から、噂を聞き、夜中に「D社の総務の者ですが、噂で本多さんは弁護士も雇えない状態だと担当部門が聞きつけ、・・・担当役員の耳に入り出来たら相談にのってあげたらと言う事で、突然にお伺いしました。
 必要なら、明日指定の時間に、指定場所に来て下さい」結局D社の顧問弁護士を従業員側の担当弁護士としてお世話になりました。
お陰で、売掛金の回収がスムーズに行われ従業員への遅配給料の一部に充当されたこと等、本当に有り難いことであります。
 勿論、これほど態度が豹変するのかと対応しなければならない金融機関があり、一日に数度、その日の最後は夜10時に待っていますから、借入金を持ってきて下さい。言われて足を運んだ事があります。それでも力の無くなった私は、決して返済のための資金を誰からも借り入れしない強い決意を持っておりました。
 ある日に夜中、立派な本店応接間で自分の思考能力の減退に気が付き、この大手銀行は実はサラ金会社ではないかと考え出したのです。
 そこで担当課長に「誠に失礼ですが、ここはサラ金会社ですか」とたずねたのですね。行員が「本多さん、本多さん、ここは立派な〇〇銀行ですよ。大丈夫ですか」と返事があり、我に返った体験もあります。・・・・毎日毎日、金融機関を訪問し、実状を説明、その間役員従業員が残務整理に誠心誠意努力して頂きました。役員初め従業員の再就職を知合いの会社に御願いし、本人の希望と先方の希望が満たされた順に決定された。数ヶ月たった時から各金融機関から、「本多さん立直る縦として何か実行したらとの励ましてくださいました。」我に返り、天(空)も仰いだことのない生活でしたので、空を眺めたのです。「八方塞がりでも天は空いている」の言葉を思い出したのです。
 本当に澄み切った青い空でした。あの時に、親切な行為を受けなかったら、今はどうしているだろうか?迷惑を掛けた筈の仕入先から親切にある宗教をご紹介頂いたり
「神様、御先祖様、従業員や皆様に大変な迷惑を掛けた、この私に温かいご厚意を頂き本当に有り難う!」と毎朝四方拝をする事になりました。

偉くならなくていい
 立派にならなくていい
役に立つ人になればいい


どんな小さな事でもいいと念じておりました。
  何度か繰返し拝讀した
「生命の実相」(全40巻)に書かれている・・・或る四国遍路の話(第29巻 女性教育編 p115) を思いだし、あらためて拝読致しました。
 
ある本を読みましたら、ある人が修業のために四国遍路のような生活をして歩いておりました。
一つの札所を通って次の札所へ行こうとするにはまだ数里を歩かねばならない。
 そこで一つの村はずれに来たのでありまして、次の札所のある村へは何時間かからなければ着かないか分からない。
 もう日が暮れているから何時間もあるくわけにはいかないと思いまして、その村の一軒の家のに行って「乙女下さい」と言って、ていねいに御願いしたのであります。すると、その村人が言うには「お気の毒ですけれども、家ではお泊め申すことが出来ません」と言ってすげなく断ってしまったのであります。はたしてすげないのか、深切なのかそこはしりませんが、ともかく断ってしまったのであります。
 しかしこの遍路さんは自分が断られたことを残念とも何も思わなかった。日は暮れている。すでにこんな日が暮れているのに、次の村までもう数里の道を歩かなければならない自分が、ていねいにあんなにお頼みしても、尚この家の人が泊めてくれないのは、この家が何か物質的に飢えているか、精神的に飢えているか、どちらにしても飢えているところがあるに違いない、ある気の毒なことであるととこうお考えになったのであります。その時もう、自分が泊めていただけないのは辛いとも何とも考えなかった。
 「ああ、気の毒なことである。なんとかこの家が物質的にも精神的にも恵まれるようにならせてあげたいものだ」という愛が油然と湧き出てきたのであります。
 それで、二十間くらい歩くと振り向いて、その家の方を合掌して、「この家は、心が貧しいのか、物質が貧しいのか知りませんけれども、自分を泊めてくれることが出来ないのは、何か貧しい点があるからでしょうから、どうぞこれからもっとこの家の人が富みますように」と心の中に念じて拝んでおったのであります。そうすると、その家の人が、今の遍路さんはどうしただろうかとのぞいておったらしいのです。
 ところろが、何か一つ与えたでもなく、すげなく断った自分の家の方が実は敬虔な態度で拝んでいるのでありますから、宿泊を断ったことが何ともいえない申し訳がないような気がして、そこの家の人が旅人を追って来まして、「もしもし、あんたどうして拝んでおったか」と訊いたのであります。
 遍路さんは「実はこういう気持ちで拝んでおったのである」と言いましたら、その家の人が大変その徳を感じて「どうも申し訳がなかった。まことに不深切なことをして申し訳がなかったから、どうぞお泊まりを御願いしたい」と言ったのであります。それからその旅人がその家に上げてもらい泊まりましたが、夜半に目が醒めて見ますと、その家の人は寝ていないで、起きて何かうちわでばさばさと扇いでいるのです。どういうわけかというとその家には夜具が一人前しかない、蚊も出てくるし、人を泊めたら自分が寝られない。そんなわけでその家に泊めることができなかったのです。そんなわけで一時はお断りしたのでしたのでしたけれども、旅人が自分の家を拝んでいた。
 その拝む心に打たれたので旅人を呼び返してお泊めした。お泊めするにはお泊めすることにしたけれども、夜具がないので自分達が寝ると、旅人をお泊めするわけにいけないから、申し訳がないから先に寝床を敷いて「お寝み下さい、私は仕事がありますから」言って、自分は起きておったのであるということがわかったのであります。
 話を聞いてみれば人間の魂の奥底は尊いものであります。もう互いに眠らないで夜徹(よどうし)し話し合って魂の喜びを分かったということであります。
 この旅人が自分を断った人を拝んだというような深切などは一文もなくてもできる本当の深切であります。この相手の実相を拝み出してあげるということは、金がなくても、着物がなくても、何がなくても拝める深切でありまして、その拝みによってみんなが光明化されてお互いによくなってくる、これが生長の家の生活であります。

 不治の病を医者に見放されて修業の旅に出たかも知れないお遍路さんが拝む心に、そしてどん底の貧しさの中でも拝んでくれる素晴らしさに改めて感動しました。
10月1日四国八十八ケ所徒歩巡拝に出発する。


トップページに戻る